第一回 「少年は二面性に驚く。」
 ビュッデヒュッケ城を本拠地として集う、グラスランドとゼクセンという二つの勢力を統率しているのが、ゼクセン騎士団の騎士団長である「銀の乙女」ことクリス・ライトフェローだった。
 城の管理・運営については城主であるトーマスが決定権を保っているものの、実際にはクリスの裁可を仰ぐ事項も多い。よってトーマスは今までもしばしばクリスの許を訪れていた。
 多忙なクリスに面会するには、事前の手続きを幾つか踏まないとならない。朝の早い時間にそれを済ませて、トーマスがクリスの執務室に通されたのは昼を回った頃だった。
 トーマスは城主である自身の執務室を、クリスの執務の為に譲り渡している。仕事の殆どが雑用である自分よりも、「炎の英雄」としてのクリスの方がよっぽどその部屋を必要としていると思ったからなのだが、礼節を重んじるクリスは、トーマスが入室してくるとすぐに席を立って迎えてくれた。
「これは、トーマス殿」
「お忙しいのに、すみません」
 トーマスは部屋の端で恐縮していたが、クリスは疲れを感じさせない清々しい微笑を浮かべて少年を見つめた。
「いや、もう少しで休憩にしようと思っていたところだ。お茶はいかがかな」
 クリスの側に控えていたサロメが、トーマスを案内してきたルイスに合図をする。心得て、ルイスが部屋を出て行くと、クリスは壁際に置かれた小さな円卓の椅子に座るよう、トーマスに勧めた。
 トーマスがそこに腰を降ろすと、向かいにクリスが座る。そのすぐ側にサロメが立ち、二人の時候の挨拶を黙って聞いていた。
 やがて、ルイスが熱いお茶を入れて入室してきた。三人分のお茶を円卓に置くと、一礼して退室していった。
 良い香りの立ちのぼる紅茶をトーマスに勧めてから、クリスは本題を促した。
「それで、今日は何の御用か」
「あ……、はい」
 ティーカップをソーサーの上に戻して、トーマスは小さく頷いた。
 考えをまとめながら、ゆっくりと、先日アラニスに相談を持ち掛けられたことを順を追って話し始めた。
 トーマスが話している間、クリスとサロメの二人は時折お茶に手をつけながら、黙して話に聞き入っていた。
「……そんな訳で、今日お邪魔したのは、できれば城の修復をする為に、協力をお願いしたいと思ったからなのです」
 トーマスの話が終わると、二人はちらと視線を交し合った。心得たようにサロメが頷きを返し、口を開く。
「成る程、話は分かりました。確かに、気になる点はいくつかあるようですな」
「はい」
「ですが、資金面での協力はできかねる」
「えっ……」
 驚いて声を上げてしまい、慌てて口を抑えたトーマスを、宥めるようにクリスは見つめた。
「申し訳ないが、正直な所、そちらにまで回せるほどの資金の余裕はないのだ。戦というのはとにかく金を湯水のように使うもので、あればあるほど消えてなくなってしまう。確かにこの城はあちこち修繕の余地があると思うが、今はそれを助けてやれる余裕がないのだ。……申し訳ない」
 銀の乙女に謝られてしまったトーマスは、慌てて顔の前で手を振った。
「いえ!こちらこそ、無茶なお願いと分かっていてきたんですから。元々これは僕たち住民の問題でもあるし、皆さんの手を煩わせるのは筋違いだったんですから……」
 せめてお茶ぐらい、と勧めてくるクリスに固辞して、トーマスは早々に腰をあげた。多忙なクリスの時間をこれ以上取ってはそれこそ申し訳ない。
「それじゃ、失礼しました」
 頭を下げ、扉を閉めたトーマスは廊下を歩きながらそっと溜め息をついた。
 これで、また問題は最初に逆戻りだ。
 とはいえ、先ほどクリスに言ったとおり、これは城の住民の問題でもある。城主であるトーマスが何とかしなければいけないことだった。
「とりあえず、皆に相談してみようかな」
 独り言を呟いたトーマスは、後ろから足早にやってくる靴音に気付き、その場に立ち止まって振り向いた。
 ついさっき面会したサロメが、こちらに向かって歩いてくる。
 真っ直ぐトーマスを目指してやってきたサロメは、戸惑うトーマスの前に立つと、声を落として話し掛けた。
「クリス様が、個人的にあなたを助けたいから、頼む、と私に仰っておいででしてな。それで、よければ私から一つ提案があるのだが……」
 そこで、サロメはうっすらと微笑した。
 いつもの落ち着いた笑みとは違い、どこか悪巧みを楽しんでいるような、滅多に見られない表情であった。
 ……トーマスは、銀の乙女の軍師が提供したその「案」に、驚く事になるのである。



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